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医学ジャーナリズムの視点

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[ 2015年7月23日(木) ]

高齢社会を迎え、医学医療に対する国民の関心が高まっています。健康情報を伝える新聞や雑誌の記事、テレビ番組が増加してきました。製薬会社の動向も注視され、不祥事が報道されるたびに厳しい批判が寄せられます。医学ジャーナリズムの影響力がかつてないほど高まっている時代と言えるでしょう。医事ジャーナリスト大西正夫氏に、医学医療の報道のあり方について解説をしていただきました。

大西 正夫 氏

  • 医事ジャーナリスト
  • 埼玉医科大学客員教授

医学医療の報道が急増している

私は2006年まで読売新聞社で科学系の記者として仕事をし、その後、フリーの医事ジャーナリストとして各種媒体に原稿を書いています。科学部に所属した当初は、天変地異担当として天文宇宙・地震火山・海洋・気象など自然現象を中心に、原子力、医学・生命科学、科学技術政策など幅広い分野をフィールドにしていました。途中から医学・医療に特化し、労多くして面白い記事が書けそうもないなと、一時悲観的な気分になりました。報道される医学記事がそれほど多くなかったこともあります。

ところが時代が変わり、今日では新聞紙上に医学医療に関連する記事がない日はありません。テレビ・ラジオも雑誌もインターネットや情報誌も、医学医療や健康のニュースと紹介が急増しています。社会の高齢化が進むにつれて健康問題に強い関心が持たれるようになってきたことや、生活が豊かになり落ち着いたこともあって、自身の周りのことに関心を寄せる読者が増えてきたためだと思います。発信者である医学医療ジャーナリストは昔に比べるとはるかに人数が増えました。

新聞に限っていうと、科学部や医療部の担当記者が書く医学医療記事は基本的にはバランスがよくとれてきています。内容の基本的な誤りや誤解を招かないために、取材先や第三者の医師・研究者に多くの記事はチェックしてもらっているはずです。昔の新聞記者はプライドが高く、書いた原稿を見せるのはデスクだけ、報道の自由のためにも取材先がチェックするなんてありえない、と考えていた節があります。そういう点でも昔の記事より信頼性が高くなっていると思いますし、圧力がかからない限り原稿チェックは受け入れ可能だと考えます。

正確でバランスのとれた記事を書く

医学医療記事を書く上で苦労するのは、正確でバランスのとれた記事を書くことです。たとえばその分野で少数派の研究者や科学的なエビデンスが足りない治療法の取材で、これは危ないなと思ったら、批判的な第三者や慎重な専門家の意見を聞く。裏を取ることが不可欠です。

私が長年追ってきたテーマの1つにワクチン問題があります。日本はワクチンの導入でいくつかの重大な失敗をしました。種痘やジフテリア、百日咳などの予防接種で重篤な健康被害が出て、亡くなったり重い後遺症で苦しむ方を生んでしまいました。全国で100件を超える集団訴訟が起こされ、国はほぼ連戦連敗でした。品質や管理に問題があったり、接種技術の未熟さが事故多発の原因でした。

社会部の記者たちは、ワクチン禍に対する厚生省(当時)批判、製薬企業批判を展開し、お母さんたちの味方だよと、情緒的な観点も含めて記事を書きまくりました。それが国民の間にワクチンに対する拒否反応を生み、後遺症となって未だに続いている側面もあるのです。

私は医学ジャーナリストとして、ワクチンを推進する立場で書いてきました。欧米国ではHibワクチン接種が1990年代初めから始まって細菌性髄膜炎での死亡が激減しましたが、ワクチン未導入の日本では、年間1,000人もの子供たちが死んでいました。志ある小児科医たちがHibワクチンで助けたいと切望している事実を紹介し続けました。2008年にやっとHibワクチンは承認され、命が救われているのはご承知の通りです。2005年に初めて米国で承認された子宮頸がん予防のHPVワクチンは、2009年に世界で99番目に承認されました。これを早いとするか遅いとみるかの判断は分かれますが、タイムラグが小さくなっているのは間違いありません。

ワクチンに関して日本が世界の後進国となってしまった1つの背景因子は、「ゼロリスク・シンドローム」だと私は捉えています。医療に関して、リスクがゼロの領域はありません。副作用・有害事象というリスクと、感染症にかからない利益のバランスをみて、利益の高いものを冷静に選択していくのが予防接種の根本であり、社会が必要とするものです。私が書いた記事や単行本はそれなりの反響があり、日本人のワクチンアレルギー解消に多少の貢献ができたのではないかと考えています。

不祥事が報道されたことによって

製薬業界の大きな不祥事である降圧薬の大規模臨床試験データねつ造事件は、毎日新聞や朝日新聞の科学部系の記者たちが粘り強く追いかけ、明らかにしたものです。医師主導型臨床研究とは名ばかりで、莫大な資金を出した製薬企業の実質的な主導であり、企業と医師との持ちつ持たれつの関係が浮き彫りになりました。大学の研究チームに医学統計の専門家もおらず、製薬企業がオンザジョブで得た臨床研究デザイン技術が提供され、結果的にデータねつ造を生んでしまったのです。このスキャンダルは、日本の臨床研究のレベルは低い、信用できない、と世界にさらけ出す結果ともなってしまいました。

この事件の反省から、厚労省は文部科学省と合同で今年4月、新しく「人を対象とする医学系研究の倫理指針」を施行し、透明性の確保のためにインフォームド・コンセントの徹底とか、第三者による監査などを義務づけました。行政は製薬企業に以前より厳しく対応するようになってきました。これは国民にとっては望ましい流れだと思います。そういう意味でメディアが果たした役割は大きかったと思います。

もっと使命感と倫理観を

私はいま医学部の学生に「医の倫理」について授業で教えています。生命の尊重や患者の自己決定権など、医の倫理には世界標準のルールがあります。製薬企業の社員は「研究倫理」の教育を受ける必要性があるかもしれません。不祥事を起こした会社は多大な代償を払わなくてはならない時代です。CSR(corporate social responsibility:企業の社会的な責任)は、会社を経営する上で不可欠なものです。

いつでしたか、ある外資系の大手製薬企業のプレスセミナーがあり、私も出席しました。外国人社長が挨拶で、「患者のために優れた医薬品を研究開発し提供したい」と述べました。そのあと日本人の研究開発担当役員が新薬開発をめぐる講演をし、「会社のために有望な薬を開発すべく努力してきたが、今回発売にこぎ着けられた」と勇んで語りました。講演中いくら聞いていても「患者のために」という言葉は出てきませんでした。「会社のために」という言葉からは、「自分のポジションのために」としか聞きとることができません。

その方は役員ですからCSRを十分理解しているはずです。会社のためにという思いがあっても悪くはありませんが、患者のためにという視点を二の次、この場合は置き去りにしており、冒頭の社長挨拶「患者のために」を空々しく思ってしまいました。製薬企業はほかの製造会社よりもはるかに重大な責任がある業種です。患者の生命と健康に多大な影響を与える医薬品を提供しているのですから。MRのような第一線の方はもとより、製薬業界で働く人たちには全員、強い使命感と倫理観を持っていただければと思います。

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