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今年100年を迎えた、MR(医薬情報担当者)の歴史 その2. 戦後の日本

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[ 2012年02月02日(木) ]

MRは昭和の日本で大きく変容していった。(画像はイメージです)

今回も、前回に引き続き、今年で100年を迎えるMRの歴史についてお話ししたいと思います。

スイス・ロシュから来たルドルフ・エベリングの元、日本のMR第1号となった二宮 昌平。彼らの努力により、“医師と対等の知識を持つ有識者”として始まった我が国のMRですが、わずか3年後の1915年には、その姿を改めざるを得なくなりました。

第一次世界大戦後、政府が推し進めた国産化対策により、国内製薬メーカーが台頭。学術宣伝と同時に積極的なセールスを行うMRが現れ出したのです。

MRに訪れた二度目の転機は、奇しくも2つめの世界大戦の後。1948年に厚生省へ薬務局が設置され、1960年には薬事法が制定、日本製薬工業協会と日本ジェネリック製薬協会が設立されるなど、戦後の高度経済成長期の中で、日本の製薬業界は一気に花開いていきました。ですが、皮肉にも、業界の発展と共に起きた熾烈なシェア争いが、我が国のMRを、いよいよ接待あり・何でもありのセールスマンへと変貌させていったのです。

1991年には、それまでのプロパー(プロパガンダ=宣伝を行う者)という呼称から、MR(医薬情報担当者)という肩書きに呼称変更され、今年からはいよいよ接待禁止が始まります。MRの100年の歴史は、まさに学術重視とセールス重視の間に揺れながら、たびたびその立場・役割を変えていった変化の歴史だったと言えるかもしれません。

こうした中、今後、MRはどこへ向かっていくべきなのか。金品譲渡をはじめ不当な接待を防ぐ意図として、1984年に業界が設立した、医療用医薬品製造販売業公正取引協議会。同協議会が、今年4月からいよいよ接待禁止令を敷くことは、周知の事実です。

巷では特許切れの2010年問題になぞらえて、これを2012年問題などと呼ぶ方もいらっしゃいます。それほど、戦後の流れの中で、ディテーリング重視型と接待型とに大きく別れていった日本のMRたちに訪れた、久しぶりの大きな変革期と言える出来事かもしれません。

ですが、MRはいま、もっと大きな渦中にあると言われています。仮に、4月から始まる接待禁止令がなかったとしても、接待型MRは今後、減っていかざるを得ない状況にあります。

そのことについては次回、詳しくお話ししたいと思います。

(文・須藤 利香子)

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