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今年100年を迎えた、MR(医薬情報担当者)の歴史 その1. 黎明期・明治

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[ 2012年01月19日(木) ]
MR誕生は100年前

MRの歴史は明治末期まで遡ります  ※画像はイメージです

明けましておめでとうございます。本年もMR BiZをよろしくお願い申し上げます。
新年最初の記事は、MRの歴史とこれからについて、お話ししたいと思います。

みなさんは、2012年という年が、MR誕生100年を迎える年だということを、ご存じですか?

日本におけるMR第1号には諸説ありますが、現在最も有力とされているのが、明治45年(1912年)に東京巣鴨病院薬局長からロシュの社員へと転身した、二宮 昌平です。

明治44年、スイス・ロシュ社は、日本に学術部を創設し、同社の新薬を日本国内の医師たちに浸透させるべく、同社で医師に従事していたルドルフ・エベリングを来日させました。

ルドルフ・エベリングが開いたロシュ学術部こそ、日本で最初のMR部隊となるわけですが、その内容は、従来とは一線を画すものでした。これまで、日本では海外の製薬メーカー本部から送られてきた製品説明書を翻訳し、医師に郵送する程度のものでしかありませんでした。

しかし、一気に自社製品を浸透させ、安定的な需要を見込むには、より専門的な方法が必要となります。ただの薬売りではなく、医師を相手取り、自社製品の有効性を訴えるためにも「医師と対等に渡り合えるだけの医学的知識を持ち、なおかつドイツ語をよく知る人間」こそ、エベリングの求めていた人物像でした。

こうして日本で最初のMRに採用されたのが、前述の薬剤師・二宮 昌平です。二宮はエベリングと共に主要都市の大学や医師会をまわり、講演会を行うことで製品の優位性を医師たちの間に浸透させていきました。二宮はあくまで医師と対等の有識者として振る舞い、セールス行為を一切行いませんでした。

医師であるエベリングの高潔な精神のもと、「相手は医師なのだから、こちらも絶対にセールスは行わない」という、欧州型の学術的プロパガンダがスタートしたのです。

二宮は自身の知識を向上すべく、幾度も渡欧したと言われています。本場ドイツ仕込みの新知識を日本に持ち帰っていたことから、当時の医師たちからはとても歓迎されていたそうです。

こうして、“医師と対等の知識を持つ有識者”として始まった我が国のMRですが、わずか3年後の1915年には、その姿を改めざるを得なくなりました。そのキッカケは、第一次世界大戦。戦争がMRたちをどう変えてしまったのか。続きは次回、詳しくお話ししたいと思います。

(文・須藤 利香子)

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